yuchellさんのこころ痛むニュースが入り込み、「どうして!!」と心を奪われ、pecoさんの悲痛なメッセージに「どうして? どうして? 大丈夫??」と関心がそちらにどうしても向いてしまいます。
柴犬はなびちゃんの笑顔を見ると、本当にこんなときこそ、こころを転がして、福音に目を向けるようにしたいものです。
一つひとつの出来事を、他人事と思うから詮索し、評論したくなる。
まずは自分の身内のこと、自分のことと思いをはせ、そして、ひと時、時間をおくために静かに内観(仏語で内省して自己の仏性、仏身などを観じること)をしてみる。
まずは黙って、無言で、自分のこころを共鳴の状態にしてあげる時間、大切だと思います。
私は保育園、小学生低学年のときに、家庭内、学校でのいろいろなことがあり、小1で家出をしたり、自殺も考えたりもしました。
そして小学5年のときに、ラジオ海外放送で神父さんや牧師さんのメッセージ(福音)を聞きはじめ、小学6年のときに一人で、町の教会に夜7時の祈祷会に参加して信仰というものに触れ、クリスチャンになろうと思いました。
その後、聖書を常に傍らにおきながらも、仏教や他の様々な信仰も学び、その経典や教えを尊び、現在に至ります。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」
伝道の書 3章11節
戦争だけでなく、多くの自然災害、国際協調圧力による経済援助、悪意ある歴史批判など、日本人としては、歴史的にみても本当に神を天を不信してもしかたがない環境に育ってきてます。
だからこそ私は思います。 使命、天命に生きるしかない。 本当の幸せはそこにある。
最後に有名なメッセージで、私も内観に入ります。
『より偉大なことをできるように健康を求めたのに、
よりよいことができるようにと病気を戴いた。
幸せになろうとして富を求めたのに、
賢明であるようにと貧しさを授かった。
世の中の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、
神を求め続けるようにと弱さを授かった。
世の中の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、
神を求め続けるようにと弱さを授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。』
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